この記事では、「ブルシット・ジョブの謎」(酒井隆史 著)について、解説をしていきます。
「ブルシット・ジョブ」とは、アメリカの人類学者であるデビット・グレーバー(2020年逝去)が作った言葉で、以下のように定義されています。
ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。
とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。
「完璧に無意味で、不必要で、有害でもある」仕事なんて、「それって仕事なのか?」と思ってしまいますが、グレーバーに寄せられた証言の数々は、まさにこのような仕事でした。
実際、Twitterで「ブルシット・ジョブ」で検索してみると、けっこうな人が、この言葉を使って呟いています。日本でも、この言葉が少しずつ広がってきているようです。
ですが、この「ブルシット・ジョブ」という言葉、ちょっと誤解もされている部分があるようです。
「無駄な仕事」「お客さんのためにならない仕事」「ブラックな仕事」なだけでは、「ブルシット・ジョブ」には当てはまらないんですね。
そこで、この記事では、私自身の経験も交えながら(証券会社で12年勤務、うち個人営業を5年、本社スタッフとして7年働きました)、「ブルシット・ジョブの謎」(酒井隆史 著)について解説していきます。
この本は、「ブルシット・ジョブ」(デビッド・グレーバー 著)の解説本ですが、著者の酒井氏は、大阪府立大の教授で、グレーバーの他の著作の翻訳も行っているため、過去のグレーバーの考えてきたことを踏まえて、分かりやすく解説してくれています。
とは言っても、全ての内容を解説すると長くなりすぎるので、
- 著者のグレーバーとは、どんな人なのか?何のために、こんな本を書いたのか?
- ブルシット・ジョブとは、具体的にどんな仕事なのか?
- なぜ、ブルシット・ジョブが生まれてしまうのか?
- なぜ、ブルシット・ジョブは高給で、社会に必要とされる仕事の給料は低いのか?
の4点を中心にして解説していきます。
それでは参りましょう。
1、デビッド・グレーバーとは何者か?
最初に、ブルシット・ジョブという言葉の生みの親であるデビッド・グレーバーとは、どんな人なのかについて解説します。
グレーバーの日本版ウィキペディアによると、以下のように紹介されています。
デヴィッド・ロルフ・グレーバー(英: David Rolfe Graeber、1961年2月12日 – 2020年9月2日)は、アメリカの人類学者、 アナキスト・アクティヴィスト。 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの人類学の教授を務めた。
(中略)
2001年にはケベック・シティーの第3回米州首脳会議で、2002年にはニューヨークの世界経済フォーラムで抗議運動に加わる。
2011年のウォール街を占拠せよ運動では指導的な役割を果たし、「私たちは99%だ(We are the 99%)」 のスローガンを考案したとされるが、 グレーバー自身は「99%」の部分を考えただけで、他の人間がそれをスローガンに発展させたと述べている。
アメリカの人類学者であり、社会運動の活動家であったようです。
なお、アナキストとは、
「国家権力や宗教など一切の政治的権威と権力を否定し、自由な諸個人の合意のもとに個人の自由が重視される社会を運営していくことを理想とする思想」
を信じる人のことです。
要するに、
「政府とか、宗教とか、専門家とか、偉そうにオレたちを支配しようとするんじゃねえ。」
という、あらゆる支配しようとしてくる存在(国家、宗教、企業、個人などなど)を否定して、個人と個人が対等に話し合いながら決めていく社会を理想とする思想なわけです。
ですが、「今ある政府や企業や宗教が潰れれば、理想の社会が訪れる」という単純な話ではなさそうですよね。
そのような「わかりやすい悪役」ではなく、「わかりにくいシステム」がわたしたちに生きづらさをもたらしているのではないでしょうか?
そこで、この「ブルシット・ジョブ」では、主に、
- 無価値だけど、ワリのいい仕事(ブルシット・ジョブ)が生まれる理由
- 社会から必要とされるけど、ワリに合わない仕事(シット・ジョブ)の評価が低い理由
の考察を通じて、わたしたちがいかに「わかりにくいシステム」に巻き込まれているのか、を明らかにしようとしているわけです。
2、ブルシット・ジョブとは、具体的にどんな仕事なのか?
というわけで、ここからが本題です。まず始めに、ブルシット・ジョブの定義についてハッキリさせておきましょう。
グレーバーは、「ブルシット・ジョブ」と「シット・ジョブ」を分けています。英語の「シット(Shit)」とは「クソ」という意味ですが、この言葉が含まれる言葉を2種類に分けているのです。
では、具体的にどう違うのか?「社会にとっての必要性」「労働条件」という2つの観点で整理したものがこちらです。
社会にとっての必要性 | 労働条件(収入・勤務時間など) | |
ブルシット・ジョブ | ×(不要) | ○(良い) |
シット・ジョブ | ○(必要) | ×(悪い) |
ご覧のように、見事に正反対の仕事になっていますね。
「シット・ジョブ」は、社会にとって必要な仕事なものの、給料も労働環境もヒドイため、あまり人がやりたがらない仕事のことを指しています。
例えば、介護士あたりは、そのようにテレビや新聞でも取り上げられているように感じます。
高齢化が進んでいる日本では、間違いなくこれからさらに必要とされる仕事ですが、全産業の平均給与が、月額約33万円なのに対して、介護職では月額26.7万円となっており、2割以上安い職種です。
(参考:政府統計ポータルサイト e-Stat「令和2年賃金構造基本統計調査 産業計・産業別」)
さらに、介護は肉体労働でもありますし、事業所によっては夜勤もあったりしますから、肉体的にもキツく、腰痛になって辞める人もいます。離職率も16%以上と、そこそこ高い業種でもあります。
このように、社会からは必要とされているものの、労働条件が悪く、割りに合わないと感じるような仕事を「シット・ジョブ」と定義づけているわけです。
なので、日本では「ブラック企業で働く」イメージに近いのが、「シット・ジョブ」と言えるでしょう。
では、「社会から必要とされていないけど、条件の良い仕事」とは、具体的にどんなものなのでしょうか?というか、本当にそんな仕事が、この世の中にあるのでしょうか?
グレーバーは、ツイッターなどのSNSで、「自分の仕事はブルシット・ジョブだ」と思う人の証言を集めました。
その結果、250以上の証言が集まり、それを詳しく調べた結果、5つのタイプに分類できることがわかりました。
その5分類とは、
- 取り巻き
- 脅し屋
- 尻拭い
- 書類穴埋め人
- タスクマスター
の5つです。ちょっと名称があからさまな感じで、グレーバーの性格が垣間見えますね。詳しく見ていきましょう。
(1)取り巻き
取り巻きの定義は、「誰かを偉そうに見せたり、偉そうな気分を味わせるという、ただそれだけのために存在している仕事」です。
例えば、ドアマンなどが、それに当てはまると言います。
高級マンションや高級ブランドの入り口に立っていたりしますよね。以下の文章は、グレーバーが集めた、ビルというドアマンの証言です。
わたしが勤務時間中にすることといえば、(マンションの)住人がロビーを通るたびにあいさつして、正面玄関の開閉ボタンを押すことだけでした。
管理者いわく、わたしが間にあわずにボタンを押し損ねたとしても、住人は自分の手でドアを開けるだろうね、だそうです。
もちろん、すべてのドアマンが、ブルシット・ジョブであるとは限りません。
高級マンション・高級店であれば、防犯上の役割があったり、冷やかしのお客さんを牽制して、大事なお客さんに気持ちよく店内で過ごしてもらう、という役割もありそうです。
また、お客さんや住人から気持ちよく挨拶する・されるの関係になれば、気持ちよく仕事をすることができたりするでしょう。
ですが、上記のビルのように、「正面玄関の開閉ボタンを押すだけ」で、自分がいなくても全く困らない状況と感じてしまうと、自分の仕事に意味を持てず、ブルシット・ジョブと感じるようです。
それ以外にも、会社の受付スタッフや、役員の秘書なんかも挙げられています。
例えば、「来客がひっきりなしに来る会社であれば、それをさばくために受付が必要」という役割が見出せそうです。
しかし、来客がほとんどないのに「受付は会社の顔だから」と配属されてしまった場合は、いつ来るかわからないお客さんのために一日中そこに居なければいけないので、「何のために自分はここに居るのだろう?」と思ってしまいそうですよね。
秘書も同様です。
忙しい役員のサポートであれば、役割を感じられますが、暇な役員を偉そうに見せるだけのお飾りとして配属されてしまうと、ブルシット・ジョブと感じてしまうわけですね。
(2)脅し屋
脅し屋は、「人をなにか脅したてるような要素を持った雇われ人」のことです。
具体例としては、軍隊やロビイスト、企業弁護士、広報専門家(マーケッター)などが挙げられます。
軍隊:大義なき戦争に駆り出される
「日本の自衛隊は、国防を担っている」という意識が強いと思いますので、自衛隊の方がブルシット・ジョブと感じることはあまりないと思いますが、海外で戦争を行なっている軍隊では、そのように感じる人が多そうです。
例えば、アメリカでは、ベトナム戦争やイラク戦争の帰還兵に、悪夢、孤独感、不安感、睡眠障害などのPTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかった人がいました。
その数は、ベトナム戦争の帰還兵の11%、イラク戦争の10〜13%がPTSDにかかっていると言われており、かなり多いようです。
(参考:しんぶん赤旗「ベトナム戦争の帰還米兵 40年後も精神疾患苦しむ「米国の行く末示す」と指摘も)
アメリカ本土を攻撃されたわけではないのに、ベトナム人やイラク人を殺していたわけですから、「何のために戦っているのか?」がわからない中での戦争だと感じる人が多かったのでしょう。
弁護士:真実をお金の力でねじ曲げる
また、企業弁護士の場合だと、いわゆるスラップ訴訟の仕事がそれにあたりそうです。
スラップ訴訟とは、新聞や雑誌、個人ブログなどで、自社に都合の悪い真実を暴露された場合に、「自社の名誉を傷つけられた」と、多額の賠償金を請求する裁判を起こす訴訟のことです。
裁判は費用も時間もかかりますから、有能な弁護士を雇える企業が有利になりますし、普通の人は裁判の経験などありませんから、「自分の持っている証拠が有効だと認められるのか?」「もし負けたら、こんなに多額のお金を払わなければいけないのか?」などの不安を持ってしまいます。
外から見れば、根も葉もない話なのか、判断がつきませんが、企業弁護士であれば、その実態を知った上での訴訟となるでしょうから、「企業は実はひどいことをやっているのに、お金の力でねじ曲げる片棒を担ぐ」という仕事に対して、ブルシット・ジョブと感じる弁護士もいそうですよね。
広報専門家・営業マン:不安を煽ってお客に物を買わせる
お客さんの不安を煽ることでモノや商品を買わせる仕事も、脅し屋と言えます。
特にその仕事が目立つのは、ネット上にあふれる化粧品や健康食品、育毛剤などの広告でしょう。
「ハゲているあなたは、女性からこんな目で見られてますよ」
「体臭がキツそうなあなたは、女性からこう思われてますよ」
など、余計なお世話だと思いたくなるけど、「実際にそう思われているのかも、、、」と不安になるような広告ってありますよね。
そんな広告を見なければ、不安にも感じずに普通に生活できていたかもしれないのです。それが、その広告を見たせいで、買わなければいけないような気分にさせられてしまう。
このようなCMを手掛けていた、ロンドンの映像制作会社で働くトムは、グレーバーとのインタビューの中で、「なぜ自分の仕事がブルシット・ジョブと感じるのか?」という質問の中で、このように答えています。
価値のある仕事とは、あらかじめ存在している必要性に応えたり、人が考えたこともない製品やサービスをつくりだして、生活の向上や改善に資するような仕事ではないでしょうか。
(中略)
(ところが)わたしの仕事は、需要を捏造し、そして商品の効能を誇張してその需要にうってつけであるように見せることです。
(中略)
商品を売るためには、なによりもまず、人をあざむき、その商品を必要としていると錯覚させなければならない。
このように、恐怖を煽ることで、商品やサービスを買わせる手法は、いろいろな業界で行われています。
壺やお札を売りつける霊感商法なんかもそうでしょうし、「日本はこれから財政破綻するので、海外に資産を逃しましょう」と海外の投資信託を売りつける証券マンなんかも、お客さんに恐怖を植えつけて商品を売りつける商売と言えます。
(3)尻拭い
尻拭いとは、「組織の中に欠陥が存在しているためにその仕事が存在しているに過ぎない被雇用者」と定義されています。
例えば、クレームや解約対応のコールセンターなんかがそうでしょう。
特に、電話でしか解約ができない健康食品や化粧品などがありますが、「わざと解約しにくくすることで、お客さんからお金を取り続けよう」としているとしか思えないことってありますよね。
「なんでネットで申し込めるのに、解約は電話なんだよ」と。
本来であれば、ネットで解約手続きをできるようにすればいいだけなのです。それなのに、解約しにくくすることで、もっと利益を上げられる状況があるため、電話対応の人員が充てられる。
自分たちの役割は、「お客さんから喜ばれるために電話の応対をするのではなく、解約させにくくさせるための仕事なんだ」。
そう思いながら仕事をしているのであれば、「社会(お客さん)の役に立っている」という実感は持てないでしょうし、それで給料をもらっているのであれば、なかなかにブルシットな感じがありますよね。
このような例以外にも、職場内に問題社員がいて、その仕事の尻拭いをさせられる、といった状況の人もこのように感じるでしょう。
そのため、「尻拭い」の仕事は、特定の業種に限らず、あらゆる組織の中で起こりうるものと考えられます。
(4)書類穴埋め人
「書類穴埋め人」の定義は、「ある組織が実際にはやっていないことをやっていると主張できるようにすることが、主要ないし唯一の存在理由であるような被雇用者」です。
特に、上場企業の本社部門や、役所の管理部門などで働いていると、このような仕事に出くわすことが多いでしょう。
いわゆる「アリバイ作りのためだけの仕事」「うちの会社(部署)は頑張っているんです、風にアピールするだけの仕事」がそれにあたります。
例えば、サービス残業の強要などの労働事件や、個人情報の漏洩など、役所や企業の不祥事が明るみに出ると、行政から指導を受けたり、新聞やテレビで叩かれたりします。
そうすると、役所や企業では、「同じことが起こらないように、組織の体制を変える努力」を強いられるわけです。
ところが、そもそもサービス残業ありきで成り立っている役所や会社もありますし、リーダーの性格的な問題で、組織文化を変えることが難しい場合があります。
その結果、「体裁を整えるために、それっぽい部署や責任者を新しく設置することで、お茶を濁す」という方法が取られたりするわけです。
世間向けのアリバイ作り的な部署なので、仕事も少なかったりしますし、かと言って他の部署より給料が低いわけではないため、「条件はいいけど、やりがいはない」というブルシット・ジョブが出来上がるわけですね。
(5)タスクマスター
タスクマスターとは、不要な仕事を作る人のこと、または不要な上司を指します。
分かりやすいのは、官僚による天下り先を作るための事業創出ですね。
あまりに多くの無駄があったため、民主党時代に行われた事業仕分け(行政刷新会議)では、1.7兆円の無駄があったとして、国庫に返還されました。
また、銀行からの天下りを受け入れる企業は、今もたくさんあります。
天下ってきた銀行員をクビにするのは、その後の銀行との付き合いを考えると難しいため、その元銀行員のための仕事やポストを新しく作ったりすることもあります。
そんな仕事は、そもそも必要がないわけですから、そこに部下として配属されると、かなりのブルシットぶりを感じることでしょう。
3、ブルシット・ジョブで働くと、なぜヤバいのか?
ブルシット・ジョブで働いている人は、よほどの人でない限り、かなりの精神的なダメージを受けています。
収入面でも、雇用条件面でもいいはずなのに、なぜそこで働く人の心を壊してしまうのでしょうか?
そうなってしまう理由は、大きく2つあります。
- 無意味・無目的:自分がやっている仕事が、誰の役にも立っていない
- 虚偽:ところが、そんな無意味な仕事であっても、真面目に働いているフリをしなければいけない
の2点です。
例えるなら、「穴を掘って埋めるだけの仕事」をしている自分を想像してみれば、分かりやすいと思います。
午前中に穴を掘って、午後にそれを埋めるのです。1日が終わった後には、何の達成感もないだけでなく、「意味がないのだから、サボってもいいよな」と思っても、サボることも許されないのです。
お金が全くなくて、貧乏が嫌だと感じている人であれば、そんな仕事でも喜んでするかもしれません。ですが、経済的に余裕が出てきても、そんな仕事を何ヶ月も何年もやっていたら、頭がおかしくなっても不思議ではないですよね。
人間には、「世界に影響を与える」ことに対する根源的な喜びがある
ドイツの心理学者のカール・グロースによると、人間には、「原因となるよろこび」があり、それは幼児期の頃から育まれてくると言います。
例えば、1〜2歳ぐらいの子供を見ると、積木を積んだり倒したり、ボールを転がしたり、といった遊びを飽きもせずに繰り返していたりします。
それは、自分が何かのアクションをすることで、ボールが転がったり、積み木が倒れたりすることに感動するからです。
小学生ぐらいになると、今度はゲームにハマったりしますよね。Aボタンを押したら、マリオがジャンプするといったことも、ゲームに触りたての頃は、それだけで新鮮に感じたりしたことでしょう。
そして、中高生になると、今度は部活の練習でレベルが上がっていくことを実感したり、勉強を続けることで偏差値が上がり、いい学校に合格するといった経験をしたりします。
いわゆる「努力の甲斐があった」と感じる体験なわけですが、このような体験・達成感を感じることも、人生の中で意味があると感じることでしょう。
ブルシットジョブは、このような体験を通じた喜びが全くない仕事なわけです。
誰の役にも立たず、自分の努力が報われることもない。
何らかのスキルが上がるわけでもない。
しかも、それに気づいているのに、さも価値がある仕事であるかのように、真面目に仕事をするフリをしなければいけないのです。
4、なぜブルシット・ジョブが生まれるのか?
ですが不思議ですよね。
なぜ、このような仕事が生まれるのでしょうか?
(前提)必要とされる仕事の数が減っている
今から約90年前に、経済学者のケインズが、アメリカやイギリスのような工業国では、あと100年もすれば、労働者は週15時間ぐらい働けば十分だろうと予測していました。
テクノロジーが発達し、機械による大量生産が進むため、人間の働く量は減っているだろう、という理由からです。
1930年、ジョン・メイナード・ケインズは、20世紀末までに、イギリスやアメリカのような国々では、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成されるだろう、と予測した。
つまり、そもそもの仕事の量が減っているわけです。
日本では、約6,000万人の人が働いていますが、衣食住などの人が必要とするモノを生産したり、維持するためには、これほどの人は必要ないということです。
実際、景気の良し悪しに関係なく、大企業を中心に希望退職者を募集するケースが増えています。1番衝撃的だったのが、2019年に過去最高益を更新したキリンが募集したことです。
その後、新型コロナの影響もあったと考えられますが、企業の発表ベースで20年、21年も1万人以上の希望退職が行われています。
対象となるのは、主に40代以上のベテラン社員です。
若い人に比べて人件費が高い、ということもありますが、「そもそも仕事の数が限られているため、人が余ってしまっている」という状況が、多くの企業で起こっているのでしょう。
ブルシット・ジョブが生まれやすい業界とは?
このように、社内の仕事が限られている状況で、なるべく人を余らせないように希望退職を行い、人件費を節約することで、商品・サービスの価格を安くしようとする企業は多くあります。
このような企業では、ブルシット・ジョブと呼ばれるような仕事がある可能性は低いです。人件費が増えてしまいますからね。
では、どのような業種で、ブルシット・ジョブが多いのでしょうか?
グレーバーはその業種として「FIRE部門」を挙げています。「Finance(銀行など)」「Insurerance(保険)」「REalestate(不動産)」の3業界ですね。
実際、ここ数年の希望退職の発表企業を見ると、そのほとんどが製造業です。
FIRE部門の希望退職をリストアップしてみたところ、20〜21年では以下の企業しかありませんでした。
企業名 | 業種 | 希望退職者数 | |
2020年 | レオパレス21 | 不動産 | 1,067 |
第一商品 | 商品先物 | 140 | |
さいか屋 | 百貨店 | 108 | |
2021年 | 三春屋 | 百貨店 | 100 |
1年間に1万人以上の希望退職があるのに対して、FIRE部門はほとんどないのです。
いずれも業績の不振が原因で、黒字でもリストラをしているところはありませんでした。
製造業の企業は、世界中の企業との競争にさらされるため、商品のコストなるべく下げる努力がされます。そのため、たとえ黒字であっても、リストラをする理由があるわけです。
ところが、FIRE部門では、そのような競争があまりありません。なぜでしょうか?
そこで、銀行を例に考えてみましょう。
銀行の主な収益源は、企業への融資です。企業にお金を貸して、その利息で儲けているわけです。
企業は金利が低いところから借りたいのが本音ですが、そもそも銀行の審査に通らないとお金を貸してもらえません。そのため、よほどの一流企業でなければ、銀行を選べないわけです。
また、借りる側の企業は、業者へ支払うための運転資金としてもお金を活用したいため、なるべく長期間にわたって、安定的にお金を借りられる銀行が欲しいです。
実際、それぞれの企業にはメインバンクという主な取引銀行があるので、その銀行からお金を借り続ける場合がほとんどです。
となると、銀行から見れば、安定的に金利をもらえる企業がたくさんあるわけです。
新しい商品を作る必要もなく、1度取引関係を作れば、よほど嫌われない限り、安定的に売り上げが入ってくるのです。
そのため、よけいな仕事を作ってもあまり困らない業界と言えるでしょう。
キーワードは「経営封建制」
FIRE部門でブルシット・ジョブが生まれやすいと言うことと関連して、グレーバーは、「経営封建制」というキーワードを挙げています。どういう意味なのでしょうか?
封建制というと、歴史の授業で聞いたような気がしますよね。王様や貴族などの支配層が、農民から年貢を超して暮らしていた頃、つまり中世の統治形態です。日本だと鎌倉時代〜江戸時代のあたりでしょう。
この時代は、主に土地の広さに応じて、農民から年貢(地代)を徴収していました。
どの土地が誰の持ち物なのかを1度確かめてしまえば、あとは毎年安定的に税収が確保できます。なので、支配層になってしまえば、簡単に贅沢ができるようになるわけですね。
経営封建制とは、現代の企業もまさに、「お客さんと1度契約してしまえば、毎月または毎年、安定的に売り上げがあがる仕組みを作り上げている」という分析なのです。
先ほど挙げた銀行の融資なんかが、それに当たりますね。
このような仕組みの商売を整理してみました。
代表的な企業・業界 | |
家賃、テナント料 | 不動産会社、モール・百貨店などの商業施設 |
レンタル・リース代 | リース会社、レンタカー |
貸し出しによる利息 | 銀行、消費者金融 |
資産運用にかかる手数料 | 資産運用会社、保険会社 |
ロイヤルティ | コンビニなどのフランチャイズ |
著作権・印税 | 音楽業界、出版業界、ゲーム業界 |
知的財産権・特許使用料 | 製薬会社、工業製品 |
ソフトウェア使用料 | IT企業 |
携帯電話の利用料 | 携帯電話会社 |
電気・ガスなどの水光熱費 | 電力会社、ガス会社、水道局 |
動画サービスの利用料 | NHK、動画配信サービス会社 |
*赤い下線部:FIRE部門
これらのビジネスは、1度契約をしてしまえば、お客さんがその商品やサービス、権利を利用し続けている限り、ずっと売り上げが入ってくる仕組みになっています。
契約をするまでのハードルは高いものの、一度契約をしてしまえば、あとは安定的に収入が入ってくるため、ビジネスが安定しますし、利益も出やすくなるのが特徴です。
赤色の下線部の業界がFIRE部門なわけですが、それ以外の業界でもけっこうありますね。特に電気や携帯電話などのインフラ系の企業が多い印象です。
しかし、製造業の特許収入や、ゲーム等のコンテンツ産業の著作権は、売り上げに占める割合がそれほど多くなく、そもそも商品やサービスがヒットしないと、これらの収入も伸びません。
一方で、FIRE部門では、それほど商品開発に力を入れなくても、安定的に収入が入ってきますので、余計な仕事を生み出す余裕があると言えます。
証券会社における、ブルシット・ジョブが生まれるメカニズム
では、実際にどのようにして、FIRE部門でブルシット・ジョブが生まれるのでしょうか?
これについて、わたし自身が証券会社の本社部門で働いていた頃に感じたことを書きたいと思います。あくまで、わたし自身の目から見た解釈ですが。
証券会社は、野村証券などの一部の独立系の会社を除いて、だいたいが銀行の子会社か、子会社でなくても強い影響にありました。
社長が銀行出身だったり、天下りしてくる銀行員が次から次へと来るのです。
特に天下りしてくる銀行員は、良い大学は出ているものの、銀行内の出世競争に敗れた人たちですから、プライドが高い割に、あまりやる気がない人もけっこういます。
また、そんな人には責任のある仕事を任せにくいですし、かりにノルマを達成できず、降格や責任を取らせようものなら、銀行からの評判も下がります。
そのため、売り上げに直結するような営業系の仕事には配属されず、本社の管理部門や子会社に配属されることが多かったです。
複雑さを作る=無駄な仕事を生む
わたしが働いていた10〜20年前の証券業界は、合併や買収が進み、証券会社の数もかなり減った分だけ、規模が大きくなっていました。
その結果、どこの証券会社も目指したのが「総合証券」です。
国内外の株式や投信、債券、ラップ口座、ネット証券などなど、「他の会社がやっているサービスは、自社でも全部揃えて対抗しよう」という目標で動いていたと思います。今もそうでしょう。
その結果、どうなったかと言うと、儲かりもしない細かな部署や機能がたくさん増えて複雑化しました。そして、そこを管理する天下ってきた元銀行員がたくさん増えたのです。
それぞれのサービスは赤字でも、「品揃えを充実させることが大事なんだ」ということで、責任を取らさせることもなく、高い給料をもらっている人が今も多くの証券会社にいることでしょう。
わたしは子会社で働いたことはありませんが、本社に比べ、管理や目標も緩やかで、ほとんど機能していない部署もたくさんありました。
そのようなところに中間管理職として配属されれば、ほとんどやることもないブルシット・ジョブだったのではないかと想像します。
このような状況を図に表すと、こんな感じになります。
先ほど、経営封建制という言葉が出てきましたが、まさにこの図は、現代の封建制を表しているものと言えます。
社長=王様(命令する人)、本社=家来(支配者の命令を実行する人たち)、営業=農民(お金を稼ぐ、年貢を払う人たち)というように、ほとんど役割が一緒だからです。
最初の方で、ブルシット・ジョブの5類型(取り巻き、脅し屋、尻拭い、書類穴埋め人、タスクマスター)をご紹介しましたが、「取り巻き」なんかはまさに王様にとっての「家来」のような、上下関係を作ることで生まれる仕事ですよね。
なので、本社部門が肥大化する企業や組織ほど、ブルシット・ジョブが生まれていると解釈できるでしょう。
国の官僚も、いろいろな規制を作っては、精度を複雑にしますよね。複雑にすればするほど、それぞれの機能を担当する部署や企業が必要になるので、かっこうの天下り先を作れるわけですね。
5、なぜ、ブルシット・ジョブは高給で、シット・ジョブは低いのか?
一方で、シット・ジョブと呼ばれる仕事は、社会的に価値がある、みんなから感謝される仕事であるのに、給料や勤務状態はひどい扱いを受けています。
求人を検索してみると、介護士や保育士は、かなり安い条件で募集されていますよね。
わたしはさいたま市在住ですが、介護士の給与は月30万円前後、保育士の給与は月20万円ぐらいです。がんばって資格を取っても、サラリーマン並みかそれ以下の給与しかもらえないのです。
これは日本に限らず、世界的な現象のようです。
ではなぜ、社会から必要とされる仕事ほど、待遇が悪いのでしょうか?
その理由として、グレーバーは、以下の3つの理由を挙げています。
- 「労働=新しく何かを創造すること」という考え方が強い。逆を言えば、人やモノのメンテナンスは価値が低く見られやすくなっている
- 労働を通じて、人間的な成長が見込めると信じられている
- その一方で、労働は苦痛であるとも考えられている
これらの要素が重なり合った結果、「賃労働を通して身も心も破壊しなければ、正しく生きていない」というのが、社会の基本原理になっているというのです。
これはわたしも思い当たる節があります。
本社で働いていた頃、社内の人たちと交わされる挨拶のほとんどが「お疲れ様です」だったのです。
早朝はさすがに「おはようございます」でしたが、昼前の10時ぐらいになると、「お疲れ様です」に変わるんですよね。
まだ働き始めて2〜3時間しか経っていないのに。
「お互い、今の仕事は大変ですよね」「私も大変なんですよ。だからあなたもそうなんでしょ?」「これだけ大変な仕事をしているんだから、これぐらいの給料をもらっても当然だ」というような、暗黙の了解があったのだと思います。
また、東日本大震災の時も、「放射能が東京にまで来る」みたいな話がありましたが、多くの社員が翌週にはきちんと通勤してきていました(わたしは休みました)し、新型コロナが騒がれた後も、政府からの通勤自粛要請があるまでは、たとえ不安に思っていても、律儀に通勤していましたよね。
これを日本の同調圧力と見る人もいましたが、今思えば、グレーバーがいうところの「賃労働を通して身も心も破壊しなければ、正しく生きていない」というモラルから来ているのではないでしょうか。
シット・ジョブは、このような精神的な葛藤がないから価値が低いと見られている
なので、シット・ジョブの給料や待遇が低いのは、「このような精神的な葛藤を抱えなくてもいいからだ」と言えます。
看護師でも介護士でも、工場の作業員でも、清掃員でも、自分のやっていることは、明確な成果として表れますし、お客さんから感謝されることもあるわけですから。
給料や待遇を決めるのは、会社の社長や政府なので、わたしたちがそのように誘導しているわけではないですが、これらの仕事につく人が、ストライキを起こそうものなら、多くの反発を受けるでしょう。
例えば、日本の教師の労働環境はかなりひどくなっており、鬱になって休職する人が増加傾向にあります。2019年度は、過去最高を更新していました。
(参考:Nippon.com 「心の病で休職した学校教師 19年度は過去最高の5478人―文科省調査」)
ですが、このような過酷な状況だからといって、もってストライキを起こしたとしたら、大変な炎上騒動になるでしょう。
「ふざけるな、やりがいがあるだろう」「普通のサラリーマンは、面白くもない仕事をやらされてるんだ。これ以上何を求めるのか?」といったコメントが書き殴られるでしょう。
そこまでしなくても、多くの人の心の中で、何かモヤモヤしたものが生まれるのではないでしょうか?
このような感情的なモヤモヤを多くの人が持ってしまうような、仕事に対する価値観が、シット・ジョブを底辺の仕事にさせている理由だというわけです。
最後に
この記事では、「ブルシット・ジョブとは何か?」「なぜ増えてしまうのか?」といった点を中心に解説してきました。
ですが、彼の「ブルシット・ジョブ」を読んだだけでは、その意図をきちんと汲めていたかわかりません。
酒井先生の「ブルシット・ジョブの謎」の中で、グレーバーの過去の作品や論文などの一連の流れを教えてもらえたからこそ、彼のやってきたこと、目指していることに共感しながら読み進めることができたと思います。
この記事を通じて、少しでも興味が出たのであれば、まずは酒井先生の「ブルシット・ジョブの謎」から読み始めてみてはいかがでしょうか?
ここまで長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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